風土のある農園  はる農園

 

風土とは about Fu-do

【風土】その土地の気候・地味・地勢などのありさま。人間の文化の形成などに影響を及ぼす精神的な環境。

 

◆酒飲みと銀杏

イチョウが色づいてきたから銀杏がとれるかもしれない。仲間と一緒に森に入

る。案の定メスの樹の下から独特の香り。おちてる、おちてる。地を這って1つ

つ拾う。近くの川であらって干して、フライパンで焼く。焦げ目のついた硬い

殻を割るとルビー色をした銀杏。日本酒があったらいいねーと畑の一角で

つまみだけの飲み会が始まった。

 

◆農園のみそ汁

 今日お味噌汁いる人?はーい。具何にしようか?大根の葉が美味しそうだった

ね。私は畑に走り、大根の外っ葉をかいてコンテナのキッチンへ戻る。ちぎって

みそ汁に入れると新鮮ないい香り。農園ではみそ汁の具は足元に転がっているも

のと決まっている。

 

農家の日々というと人は何を思い浮かべるだろう?農業業界に携わり、農家になり、狭いながらそれを見てきた私にとって野菜を作る職業としての農家の日々は、孤独と報われぬ対価との生々しい葛藤の日々でもあると感じてきた。それなのに私は今も、畑にたっている。理由はありふれた農園での風景の中にふてぶてしくも愛らしく横たわっている。

 

農家は、大地【土】と人の文化【風】が生み出す風土Fu-doを家族や仲間と汗水たらして全身で味わい、消化し、自分を養う糧にして生きている。雑草をいくら抜いても1円もふところには入ってこないのに、なぜか一生懸命になって。地を這って抜いた草のあとを見て鼻を高くし、食べるごはんのおいしさにごちそうさまと大地を拝む。こんな生き方を、私は到底辞められない。

 

そして、こんな日々の中にこそ血の通った食があるように思う。本来癒着してきた食、自然、文化はそれぞれ切り離され。物理的存在である農産物だけ食味、機能性、安全性といったどこか無機質で少し他人行儀なラベルをまとってスーパーに並んでいる。

自然と人に愛され、文化に育まれた食事は、美味しさやカラダにいいということ以上に、一口で人を一日中幸せにできる。私たち農家はそれを体感している。

 だから、それとは相容れないこんな質問に悩む。この農園の野菜が新鮮で安心か?他よりおいしいか?

そうありたいと思うだけで、正直わからないというのが本音。私の野菜はきっと私に似て少しくせがあるだろうから、全員は無理でもあなたに好きになってもらったらうれしいという気持ちでつくっている。そして一つ確かなのは、新鮮で、安全で、おいしい野菜以上に、あなたも含めた人と自然がつくる新しい風土Fu-do(文化、自然とともにある食)こそ私が本当につくっていきたいものだということ。


そんな思いから

畑と森にある食材とその食文化をお届けする旬菜ボックス:Fu-do便り

農園での新しい食体験:Noraチケット

を1セットにしました。


新しいFu-doをあなたに届けます。そして、たまに居心地のよい消費者という場所から少し足を踏み出して、農園の空気を吸いに来てください。

目の前の食べ物は消えても、心になにかが生まれる食事を体験して頂けるはずです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。




農園主のつぶやき


知足と幸せ


知足者仙境、不知足者凡境 

(足るを知る者には仙境にして、足るを知らざる者には凡境なり)

                                菜根譚

足るを知っている者には、どんな境遇も仙境のように楽しいし、

足るを知らない人間にとっては、どんなよい境遇でもつまらない。

 

 

昔、父からもらった本にあった漢詩。心のどこかに引っ掛けておいたものが、いつの間にか大きな心の柱になりつつある。

 はじめは『足る』を、足りること、間に合うことと思っていた。もう十分だ、ここでやめておこう。

そんな謙虚な姿勢が徳のある大人の嗜みなのだろうと思っていた。

いつからか、畑にいるようになって違う解釈をするようになった。

 

 季節に追われてせかせか種を撒き、夏の日は草取りに追われ、ただただ毎日泥にまみれる。日照りでも不作でも、

朝には腹が減り、夜には子供のように眠くなり、年がら年中風邪も引かずに野良仕事をしている。雨の日にはなんだか不安になり、

晴れた日には空を見上げるだけで心が勝手に笑い出し、仕事が手につかないほどニコニコしている。

 

大地の上にワタシを置いてみると、考えていたよりワタシはずっとちっぽけで、単純で、幸せだった。

 

暑い夏の日や寒い冬は、この身の小ささや、心の弱さが悲しくなるものの、畑や森はそんなこと我関せずで、

気にも留めずにあっけらかんとそれを演じている。それでも彼らは晴れの日の温かさや収穫の喜びなど、

気が付くとふと私の手のひらに手ごろな幸福感をあずけてくれた。

 

今私は菜根譚の言う『足る』とは充足のsoku、あるいはfitということと勝手に解釈するようになった。

大地からすると豆粒ほどの小さくて弱い身も、天気に右往左往してしまう弱い心も、自然の中にあると全部ぴったり収まって、

すべてが整い満たされて、完璧とさえと思える。全体に寄り添う暮らし方を知ることで得られる充足感。

 

いろいろな幸せがある中で、私が畑で見つけたのはそんな手のひらに収まる心地の良い幸せだった。

農園にくる人にとって、この場所が足るを知る場所になればと願っている。


さて、今日のみそ汁は何にしようか。

 

農園主 はる

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